竹田城に近いホテルに宿泊するなら、心安らぐ囲炉裏の宿【豊楽】へ~竹田城の歴史~

竹田城からほど近いホテルに宿泊するなら

竹田城からほど近いホテルに宿泊するなら

竹田城への観光をお考えでしたら、暖かな囲炉裏がある宿【豊楽】をご利用ください。豊かな自然に囲まれた【豊楽】は、昔はどの家庭にもあった囲炉裏で食事がお楽しみ頂けます。創業60年以上の老舗旅館ですが、檜の展望風呂付デザイナーズルームには美濃焼きの洗面台も備え付けてあり、ホテルのような心地良さと古き良き日本の“和”を体感することが出来ると好評です。

通常の和室も昔ながらの木造作りで、お部屋から渓谷や川床、夏場には蛍が見られます。お部屋の数には限りがありますので、宿泊をご希望の方はお早めにご予約ください。

竹田城に行くなら、兵庫のほぼ中央にある神河町の【豊楽】へ

竹田城は別名「天空の城」とも呼ばれている非常に景色が美しい城跡です。しかし、晩秋の早朝に見ることが出来る雲海を望むなら、明け方には山頂に到着していなければなりません。竹田城へ行くために、宿をお探しでしたら、ぜひ神河町の【豊楽】をご利用ください。

【豊楽】のある神河町は、兵庫のほぼ中央に位置している町で、各観光地へのアクセスが良好です。もちろん、竹田城へもアクセスしやすく、兵庫観光の中継地点としてご宿泊されるお客様も多くいらっしゃいます。

日本100名城に選ばれた竹田城の歴史

日本100名城に選ばれた竹田城の歴史

日本の100名城の1つである竹田城は、嘉吉年間(1441~1444年頃)に当時の丹馬守護・山名宗全氏によって築かれました。対立していた播磨の赤松氏に対する最前線基地の1つだったと言われています。しかし、当初は現在のような総石垣ではなく土製の城でした。山名宗全氏の死後、家臣であった太田垣光景氏以下7代が城主を務めましたが、1580年羽柴秀吉(豊臣秀吉)による丹馬攻めで竹田城は落城します。

その後、1585年に竹田城最後の城主となった赤松広秀(斎村政広)によって現在のような総石垣の城になったと考えられています。赤松広秀(斎村政広)は、「仁政の主君」として領民から非常に慕われていて、現代にも繋がる地場産業の礎を築きました。次近代儒学の普及振興にも大きく貢献したと言われています。

1600年の関が原の戦いで西軍として丹後・田辺城攻めに加わりましたが、敗戦を受けて竹田城に撤退したところ、東軍として鳥取城を攻めていた因幡・鹿野城の城主・亀井氏から要請を受けて出陣しました。手柄を立てたとも言われていましたが、出陣の際に城下町を放火したという罪で自刃させられてしまい、竹田城も廃城となりました。

お役立ちコラム

竹田城に近い宿をお探しなら【豊楽】

名前 豊楽
住所 〒 679-3125 兵庫県神崎郡神河町上小田332
TEL 0790-34-0120
URL http://www.houraku.info

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